うん、素直に面白いです。見ていてとても爽快です。
音楽とか演出含めて、静と動がうまく使い分けられてます。
後半の電子戦は前半の静かな、そして緊張感の漂う描写があったからこそ引き立つスピード感。
6話からは舞台が変わるようで。
これからも静と動のメリハリある展開になるのか、それともタイトル通り、「モーレツ」な勢いで押し通すのか。
5話までの流れは非常に面白かったので、今後も期待してます。
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うん、素直に面白いです。見ていてとても爽快です。
音楽とか演出含めて、静と動がうまく使い分けられてます。
後半の電子戦は前半の静かな、そして緊張感の漂う描写があったからこそ引き立つスピード感。
6話からは舞台が変わるようで。
これからも静と動のメリハリある展開になるのか、それともタイトル通り、「モーレツ」な勢いで押し通すのか。
5話までの流れは非常に面白かったので、今後も期待してます。
観てきました。
新国立劇場では日程を間違えて見逃すという痛恨のミス。今回は何度も日程を確認し、無事に観ることができました。
・幾原監督の寄稿を会場で初めて読んだけど共感できる。主人と奴婢の関係って時代によって色々な比喩となり得る。今だと政府と国民の関係とか。
・役者が去って観客だけが残された劇場。残された私たちは、まさしく主人を失った奴婢のようなものだよなぁとしみじみ思った。
・小見川千明(みんち)が出演してることを直前に知った。アングラに合うのかと思いきや、以外に悪くない。3作連続で出演するみたいなので楽しみ。
主従関係に縛られる日本人を透かして見るのも楽しいけど、じゃぁどういう関係が良いのかと考えるのもまた楽しい。
なんとなく鉄拳のようなネタを考えてみるのも一つの方法のような気がします。
こんな「奴婢訓」はいやだ。
・奴婢が働き者
・奴婢が服を着ている
・奴婢が従順
・奴婢のマナーが良い
・主人がずっと家で見張ってる
・・・発想力が低下してるな。
今一番注目してるのが「モーレツ宇宙海賊」。
OP/EDとか、絵柄とか、入り口の部分でかなり損をしているような気がするけど、
実際に見てみると非常に丁寧に作られてて面白いです。
序盤ということもあってか、現在の展開はとても地味です。けど、その地味な展開でも
視聴者を引き込む緊張感が漂っているんですよね。
見た目で敬遠していた方がいたら、ぜひOPを飛ばしても良いので観ることをお勧めします。
OP/EDは観ていればそのうち気にならなくなるかも?
面白かったもの
・BRAVE10→OPが面白すぎる。全てが少しずつおかしい
・探偵オペラ ミルキィホームズ 第2幕→ハイテンションで疲れる
・妖狐×僕SS→様子見
・モーレツ宇宙海賊→安心の面白さ
とその前に、私は寺山修司ファンです。寺山修司は高校の大先輩ということもあり、結構作品も読んでますし、
流れを受け継ぐ劇団の公演をよく観に行ったりもします。故郷を離れた(捨てた?)人間からすると
いろいろこの人に共感する部分が多いんですよね。
寺山修司は「書を捨てよ、町へ出よう」に代表されるいろいろな作品で、「既成概念からの脱却」を描いています。
本質を理解するための手段として、まず本質を否定すること。そのプロセス自体に意味がある、と。
書物を捨てる、親を捨てる、家族を捨てる…否定する・捨てることは重要なプロセスである、という主張です。
では「輪るピングドラム」の個人的な考察です。
幾原監督は寺山修司の影響も受けているということで、ちょっと絡めた形での感想になります。
この作品の主題は「愛による繋がり」と考えてます(ここでいう「愛」とは、恋愛・家族愛・友情とかを含む広義なものです)。
極論すると、作品の持つ意味はこれだけです。この意味を体現するためだけに高倉家を材料としたメタファーをちりばめた、
といっても過言ではないと思います。本当にシンプルです。
この作品で出てくる「愛」に関連付きそうな群を挙げてみるとこんなところでしょうか。
1.高倉家(両親含む)→家族愛
2.冠葉&晶馬&陽毬→兄弟愛
3.真砂子&マリオ&冠葉→兄弟愛(血縁)
4.晶馬&苹果・多蕗&ゆり→恋愛
5.ダブルH&陽毬→友情
(6.企鵝の会・高倉家両親・眞悧・(冠葉)→思想・連帯感)
1~5の重要さを説くために(寺山的観点で)すべきこと。それは1~5を破壊してみることです。
そのために必要になるのが6の存在です。そして6によって破壊されたそれぞれの「愛」を再確認するという
プロセスが群像劇的に表現されたのがこの作品、ということになります。
キーワードであった「ピングドラム」ですが、24話で陽毬が「ピングドラム」として手渡したのは「半分の果実」でした。
半分の果実は直前の檻のシーンでも描かれてますが、相手を思いやるという象徴。そしてそれは
「運命の果実を一緒に食べよう」という陽毬の大事にしている言葉と繋がり、24話のサブタイトルである「愛してる」という言葉に繋がります。
作品中のすべての「ピングドラム」の表現を「愛」と置き換えてみるとしっくりくるかもしれません。
下記個人的な感想です。羅列になりますが。
・「ピングドラム=愛」というよりは、メタファーとして「ペンギン=愛」といっていいかも。1~3号のペンギンは愛の実体化だといえる。
・前半の苹果の奇行は、正しい恋愛の反面教師的な意味合いで後半に際立った。
・ダブルH(トリプルH)の歌が秀逸。政治的な意味を含む攻撃的な歌を子供に一方的に歌わせるということで、子供の傀儡感が演出されてる。
・生命的な生死、存在的な生死の描き分けが良い。「子供ブロイラー」に代表される存在的な死は、死ぬより辛いかも。モブキャラクターの徹底的な記号化も、存在的な死の表現として面白い。
・人の繋がりを地下鉄の路線に模した演出が良い。最終回の「運命の乗り換え」は鳥肌もの。
・どうでもいい話だけど、ペンギンは種によってはヒナを集めて保護する習慣があるらしい。子供ブロイラーっぽい。
2ちゃんねるなんかで感想を漁ってみると、それぞれの表現の整合性が取れないという感想、キリスト教との関連付け、
林檎の数合わせとかのつじつま合わせが見られました。いろいろな解釈があって面白いなぁというのと、
主題がイメージとして伝われば細かいところはどうでもいいじゃない、というのが個人的な感想です。
寺山演劇的な表現に慣れていた、というのが、私が演出に違和感を感じなかったことに繋がるかもしれません。
ピングドラム=半分の果実=運命の果実を一緒に食べよう=愛してる
ピングドラムによって、「運命の乗り換え」が行われる
生きること自体、罪を受け続けるようなもの
ほとんどの子供は、「あらかじめ失われた子供」。
愛してるの言葉で救われ、運命がどんなに苛酷でも、きっと幸せを見つけられる。
ラストの多蕗&ゆりの会話が物語のまとめ、というところでしょうか。
「運命の乗り換え」から残された二人が印象的です。
「運命の乗り換え」がこの二人が対象外だったということは、きっとこの二人は現在満たされているということ。
乗り換え後の世界(陽毬の家族)は、きっと冠葉&晶馬の役割を両親がきちんと担っている世界なのでしょう。
普通に考えれば「普通の家族」なのですが、そうではないのが今の世の中なんですよね。
ちょっとしたきっかけで見える世界が変わる、というメッセージ性では「少女革命ウテナ」の
流れを引き継いだ形の作品だと思います。ラストの、平たく言えば「夢オチ」的な展開をきっと
批判する人もいるかと思いますが、個人的には納得できる畳み方でした。
良い作品でした、ありがとう!
それにしてもED後のHHHのCM、「Penguin-WAVE」がタイミングが良すぎる。
眞悧は呪いのようなものだなぁ。しびれるなぁ。
来週が楽しみ、としか言いようがないです。
とりあえず苹果はいい子だ。最初の頃がウソのようだ。
冒頭にダブルHが登場。これが陽毬の救いへとつながれば良いなぁと。
物語も終盤ということで、「集団への回帰」をテーマのこの作品も部分的に収束してきました。
この物語で描かれる集団はこんなところでしょうか
・高倉家(両親含む)→家族枠。家族というのは呪いのようなものだなぁ。
・高倉家(冠葉&晶馬&陽毬)→仮の家族枠。絶賛崩壊中。なんか救われる気がしない。
・晶馬&苹果→片思い枠。終盤に向けて苹果は晶馬を救うか?
・多蕗&ゆり→恋人枠。お互いすっきりした感じでなんかまとまりそう。
・真砂子&マリオ&冠葉→血のつながり枠。来週どうなる?
・企鵝の会→思想団体枠。リーダーが死んでも思想が生き残り、活動が続くというのは思想団体の本質としては良いのだが・・・。今後どう扱う?
・ダブルH&陽毬→友情枠。事件があっても絆は失われたわけじゃなかった!
個人的には全体的な絶望感の中、唯一「ダブルH&陽毬」の友情に救われる、っていう
ラストになるんじゃないかと思っています。良い意味で裏切られたいものですが。
一気に観ました。
21話は衝撃的でした。まさかあの2人が実の兄妹だったとか、実は死んでたとか、
実はリーダーだったとか・・・。
幻想の両親に呪われたように操られる冠葉があまりにも気の毒。
エンディング変わってからずっと目が離せない展開が続いてますが、
どういう結末になることやら。
雨の中行って参りました。と、ちょうど開始時間前に大荒れの天気も奇跡の回復!
これで今年どうしても生で観たかったアーティストのWORLD ORDER・三浦大知ともに念願達成です。
生では確かFolder時代に一度見た以来だと思いますが、動きのキレがすごいです。
ダンスナンバーとスローナンバー組み合わせての短いライブでしたが、歌もダンスも安定感がありました。
J-POPの括りだと、これ以上の人間は正直思い浮かびませんね。
イベント後はアルバム特典の握手会があったのですが、子供を連れてだったので長時間並ぶ握手会は
泣く泣く断念。一応会場で1.5時間くらいはウロウロしていたのですが、全然列の短くなる気配もなく、むしろ
長くなっているんじゃないかと思える始末。
それでもステージで凛とした姿勢で、丁寧に接して握手を続ける三浦大知は男から見ても惚れますね。
こういう人こそもっと評価されてほしいものです。